ハンディキャップテニス環境、国内車椅子テニス環境づくりの
基礎研究期間に実施した
ワインカップテニストーナメント

 ○第1回大会  1977年1月30日
   ※参加チーム7組  会場 保土ヶ谷ローンテニスクラブ       
 

 ○第12回大会 1983年10月10日から11月6日
   ※参加124組 会場 石川町テニスガーデン

 (注)石川町テニスガーデンは
 その跡地が現在 首都高速横浜線の3号線出口になっています。


この企画は、当初、一般のテニス大会に参加する機会の少なかった高齢の人達や初心者を加えた内容でスタートしましたが、大会企画を重ねる中で、規模も内容も大きく広がり、参加資格はランキングプレイヤーとしての実績のある人達を 除くことを唯一の条件とした要項としたことから、競技レベルの高い人達も多く参加、幅広い愛好者によるゲーム展開が見られました。

この企画実施を通じ、年齢、体力、障害の有無がプレーに影響を及ぼす点、また、障害のある人達が大会参加するときに必要とされる施設、設備をはじめ、企画工夫の様々な点など、経験から得られた資料、情報は、その後のハンディキャップテニスの研究開発に大きく参考になっています。

大会内容は競技レベルに関係なく、誰でも楽しめるテニスイベントとしましたが、参加ペアの競技レベルに大差も見られ、クラスをいくつかに区分してトーナメントを行いました。
優勝者の副賞には、大会名の通りにワイン(外国製)が賞品として用意され、区分された各クラスにも同一のワインが贈られました。

当時は、車椅子のミックスペアとなるプレイヤーが見つからず、競技参加は実現できなかったのですが、企画の中に障害のある人達にもテニス参加の出来る環境づくりへの理解を求める内容を加えています。

なお、車椅子を使用する人達のペアに関しては、性別を問わないミックスのペアでもダブルス種目に参加出来るものとし、その後のJHTFが関連するテニス競技大会から採用しました。

1984年に厚木市で国内初の車椅子テニス競技大会を企画開催したことにより、このトーナメントは1983年の第12回大会企画を以って終了しています。


   
このトーナメント企画を通じ、国内車椅子テニス競技並びに車椅子を使用しない障害の人達の練習・競技環境の研究を積み上げ、近年の啓蒙普及が進みました。
後年、国内車椅子テニス競技開発の取り組みを リハビリ関係から生まれたとした・・ 事実と異なる言動を図った人達もおりました。 こうした内容は、多大な協力支援された当時の各界各方面、並びに、実務関係者やボランティア精神で活動した方々の存在を軽視する心寂しい行為になります。 
国内の車椅子競技の環境づくりや視覚ハンディキャップテニスなどの研究開発と競技設計は、ハンディキャップテニス研究協会(※当時・ルプトプラン連絡協議会)によって進められています。

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