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人は様々な心にふれあい、囲まれて時を過ごします。
温かな心を身近に感じて,安らぎのひとときを過ごすことも、
好きなスポーツに取り組み、熱気溢れる闘志がぶつかり合う中で
全力の汗を流すこともあります。
いろいろな心に出会い、いくつもの心が交わり合うところでは、
新たな世界が開き、新しい楽しさが生まれることがあります。
(ハンディキャップテニス特別講習会案内プリントから) |
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ハンディキャップテニスの開発普及に広く理解を求めて、車椅子を使用してテニスが可能なこと、立位の肢体不自由の人達や聴力障がいの人達に、テニスを楽しむ機会と環境が生まれることを願って企画されたこの特別講習会は、日本テニス協会、プロテニス協会の関係者をはじめ、内容に協賛して戴いた関係スポーツ企業と民間テニスコートの協力で進められました。
指導に当る関係者やボランティアの人達、一方、障がいのハンディがある人達の中で、テニスに興味をもっていた人達、いずれも初体験という中での講習会でした。
初めて車椅子に試乗したテニス関係者やボランティアの人達が最初に発した言葉は 「車椅子では、身体から遠いボールを打つのは無理だと思う・・」 と厳しい内容でしたが、車椅子の動かし方を案内されると 「出来るんだね! 車椅子を動かしながらは大変だけど・・出来るよ!」 との感想に変わりました。 |
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各地の特別講習会には、数多くのボランティアの人達がスポーツパートナーとして参加しました。 講習会終了後、事務局に寄せられたボランティアから、次のような内容のお便りが届きました。
・・今回、スポーツパートナーとして参加して本当に良かったと思っています。
今まで私はハンディを背負った方々を、ただ遠くで、かわいそうだなあと思っていたくらいで、実際に接することは無かったのです。
ですから、講習会の前は,何をどうやって、どこまで教えたら良いのか、また、どうやって接したら良いのか不安でした。
しかし、実際にやってみると思ったより動けるし、上達が早いのです。 それは取り組み方が真剣だということと、特に車椅子の人は腕の力が強いので、楽にラケットを振れるということが大きな要因になっていることです。
講習会も終わりに近づいた頃、彼等の打つ球には目を見張るものがあり、うまく決まった時の清々しい笑顔を忘れられません。 これからも、こういう機会を増やして、多くの人達にテニスを楽しんでもらいたいと思います・・
各地で開きました講習会や施設訪問などで、ボランティアとして参加、協力された方々からは、こうした内容と活動に感想文を数多く戴きました。
冒頭に紹介した・・ いろいろな心に出会い、いくつもの心が交わり合うところでは・・・・・の内容の通り、各地で実施された講習会は定期、不定期を含めて現在に至るまで延べ数千回以上に及びます。 いづれも、いつも温かな心と行動力に支えられ、実現してきました。 |
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近年の日本ハンディキャップテニス連盟のnpo活動事業は、国内の車椅子テニス競技のみの事業からは距離を置いています。 当時、マスコミが注目するに従い、その中で発展の主導権を得ようとした一部の関係者の心寂しい言動に多くの人達が真実を確認することなく、離れていく状況にありました。 このことから車椅子テニスのみでなく、更に幅広い人達や様々な障がいに対するテニス環境を開発するハンディキャップテニスの道を推進することに進みました。 |
車椅子テニス開発資料 を本サイト上で公開しております。 当時の車椅子でテニス競技を具体化する当ボランティア団体の取り組みを理解し、支援協力された関係者や各団体、企業等の存在、内容は貴重な記録として公開しているものです。 公開の趣旨は良きスポーツ文化を育む地道な活動に取り組む方面の参考に、またその歩みの中での活用を願っています。 |
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国内の車椅子テニス競技開発への取り組みは1977年の研究に始まり、1980年代からの本格的な各種事業と各方面の協力支援によって進み、第1回車椅子テニス競技大会をハンディキャップテニス研究協会の企画によって実施されて以後、車椅子テニス関係協会が設立されました。 近年、日本選手が車椅子テニス世界タイトルを獲得するまでになりました。 しかしこうした素晴らしい記録、実績を生み出したテニス環境に比べ、体力不足の人達などに対するテニス環境づくりは取り残されました。 |
テニスの楽しさをみんなで・・との取り組みは、多くのテニス愛好の底辺拡大などに貴重な支援協力された方々の心を十分に活かせない点を改善することを含め、JHTFや研究協会のテニス研究開発は硬式テニス分野からスポンジスーパーテニス、サウンドテニスなどの開発とその普及事業に引き継がれています。 |
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