国内初の車椅子テニス競技大会

第1回大会プログラム 第1回大会レポート

この第1回大会プログラムはA4サイズの4ページ構成で作成しています。
国内初となるこの大会企画は、数多くの温かな理解と協力支援の中で開催し、参加選手は 1都4県からの34名でした。
このレポートは1985年に全国都道府県と指定政令都市の知事、市長向けにスポーツ環境整備の要望書と合わせて送付しました ルプトプランレポート の中に編集したものです。
※ルプトプラン連絡協議会は、NPO事業として進めたハンディキャップテニス研究協会ならびにJHTFの最初の団体名称です

この大会以降に開催された 「飯塚国際車いすテニス大会」(1985年4月)など、国内の本格的な車椅子テニス競技が進展していきました。 1986年に 「ニューミックステニストーナメント(大阪)が開催され、1987年 「車いすテニスジャパンカップ イン 蓼科」の開催など新しいテニス大会が 次々と各地で企画されるようになりました。
 第2回大会プログラムの表紙
 第2回大会は 広告ページも加えた40数ページの内容に
 当時、一般テニス大会以上のプログラムが作成されました
 
 第2回大会は、日本テニス協会専務理事の藤倉五郎氏
 並びにテニス協会役員の近岡義一郎氏を顧問に迎えて
 開催しました。

 
第2回大会では 来賓として来場された当時の藤倉五郎氏は
松尾清美氏(福岡)のプレーを 熱心に見て その動きに感心しておりました。

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