参加する人達すべてを同じ目線の高さで迎え、障害の違いを超えたテニス交流を実現した
日本ハンディキャップテニス大会


様々な障害内容を個性として・・ 素晴らしいプレーが数多く展開された7年間
( 1988 〜 1994 )


この大会は阪神大震災が発生した前年の1994年の企画をもって終了しました。
資金不足から1991年は 「ハンディキャップテニス・クリニック&エキシビション」の企画に切替えた時期も
ありましたが、1992年には各方面の支援、協力を受けて大会企画を再開し、1994年まで継続しました。

数多くのボランティアの人達が支え続けて成長した新しいスタイルのテニス大会企画として、テニススポーツ
バリアフリースポーツとして貴重な歴史を刻みました。


 当時、日本のテニスメッカと称された 「東京都有明テニスの森公園」 を舞台として開催されたこの大会に参加した選手の障害内容は多種多様でした。
 同じコート上で障害の異なる人達が競技対戦するという初めての大会企画でしたが、身体条件の違いを超えたテニス交流の面白さを実現したのみではなく、いろいろな障害について互いに理解する心を多くの人達の間に育みました。


大会企画のコンセプト(←クリック)


別記に紹介の車椅子テニスが発展が進むと、時には無理解な
関係者によってこの大会への車椅子テニス愛好者の参加する
道が遮られたこともありました。
こうした環境の中でも立位の人達と車椅子使用の人達との
新しい対戦スタイルを実現させています。
車椅子を使用する、使用しないに関わらずそれぞれに特徴を
活かしたプレーでポイントを競い合う楽しさは、選手に限ら
ず、観客やボランティアの方々も感動しつつ見守りました。
 北海道から岡山までの幅広い地域から参加した200名余の
 選手、そして当日の会場内でも100名以上のボランティア
 が大会運営を支えた国内唯一の全国大会の企画です。
 毎年の常連メンバーもいれば、初参加の人達も一堂に集った
 この大会は、障害のある人達の隠れた才能とその明るい性格
 を多くの人達が認識されたスポーツ企画でもありました。
 その後に企画された千葉、横浜、静岡などの大会企画にも影響
 を与えています。



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この大会に参加して・・ と参加者からのコメントが寄せられています。
 1994年大会プログラムに掲載された中から、ひとつを紹介します。

 なんで私は、毎年、この大会に参加するのだろうか?  練習もしていないのに−−−。
 会場にはいろいろな人達がいる。勝負ギンギンの人、ニコニコやっている人、マイペースでプレーする人・・・ 
 いろいろあって良い。お互いが、お互いを認め合っている。 すばらしいことだと思う。

 そんな人達をやさしく包んでくれる大会−− そんな気がする。
 ボランティア(?)の人達をはじめ、会場にいるみんなの笑顔も良い。
 みんなとふれあうことができる。これが良い−−−。テニスをしない人も楽しめると思う。

 数多くの人達によって支えられている日本ハンディキャップテニス大会。
 有明の会場で出会う人達より、きっと陰で支えてくれている人達の方が多いと思う。
 その人達にも、感謝です。ありがとうございました。


                                (愛知県 N.Wさんから)

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ハンディキャップ硬式テニス
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