新たなテニス環境開発  Development of new tennis environment

  車椅子テニス、ハンディキャップテニス開発の取り組み内容公開 ・・
  

  車椅子テニスの環境づくりを目指した活動の動き

1981年は 様々な取り組みが動き出しました。 1977年からの5年間に比べ、車椅子テニスの環境づくりの内容が各方面で理解されるために・・ 出来る限りの企画と力のすべてを 投入しなければならない時代でした。 

ここには内容すべてを 紹介できませんが、先のページで紹介のコートテストを はじめ、いろいろな取り組みは 時間的な差はあっても、同じような時期に進めました。
なぜ?・・と考える方々がおられるかもしれませんが、例えば、A、B、C ・・ といった異なった企画は、それぞれに実例、実績を重ねた上の資料の相互関係が 他の企画内容について理解を求める上で 役立ちます。 役立つというよりは 必要とした内容でした。


理解を求めるための企画内容のひとつが、下記プリント資料の作成、配布です。 このとき、各方面への提案や協力支援を求めを進めるメンバーは、この取り組みを進める団体名として採用したのが <ルプト・プラン連絡協議会> です。  その後、この団体名は JHTF(日本ハンディキャップテニス連盟)に 改称しています。


この資料画面はクリックすると 少し大きな画面になります


 ルプトプラン ; LPTT
Let’s play tennis together Plan
   一緒にテニスをやりましょう ・・ とのプロジェクト名称

ルプトプラン連絡協議会は 1981年に国内各方面へ幅広く呼びかけたNPO事業の活動名称(※和製英語)です。 
なお 資料内容に一部 英文表示を用いておりますが 機械翻訳の精度などによって 誤った表現もあるかと思います。 ご容赦下さい。
・・ スポーツ心 ・・


    窓の外は まぶしい太陽がいっぱい  

  明るい陽射しの中 フェンスに囲まれたテニスコートから  
  弾むボールの音が聞こえる  木の間から躍動するプレイヤーの姿が見え隠れする


  コートに入って ・・・                           
  
一個のボールに 振り回されて コートを縦横に 走り回った
  流れ落ちる汗  リストバンドも 汗をいっぱいに 吸っている


  あの時の対戦相手は 強かった  互角と思われたゲームの 大事なポイントで
  こちらのボレーが 鮮やかに相手の逆をつき コートの隅に落ちた

  懸命に 体をひねって そのボールを追った相手の足が 滑った
  気づかうこちらへ 笑顔で応えながら 土のついた手をはたいて 握手を求めてきた
 ・・・

    コートを出る彼の顔に  汗が光った

  シャワールームで 再び顔を合わせた時の 彼の瞳は 勝負の時の厳しい色と違い
  優しく 温かな色を 帯びていた ・・・・・


    遠い昔のことなのに ・・
  ボールの音が聞こえるたびに つい 昨日のことのように思い出す

     あの日の対戦から 数ヶ月 ・・
  風の便りに  突然 彼の姿がコートから消えたと 聞いた

  何事にも 全力の彼を 見舞った一瞬の不幸が
  無念の思いを残して・・ 彼の姿を コートから消した ・・ と聞かされた


   人の運命は  わからない ・・
  あの日 コートを揺るがした 彼のファイトが もう 見られない

  青春  人生  その大きなキャンバスに ラケットとボールで  鮮やかな構図を描いた
  彼の姿が 今は コートに見られない ・・

  まぶしい太陽 ボールの弾む音
  かつて 彼の心を躍らせた光と音が 今は 彼を苦しめる
  寂しい顔は 彼には似合わない  汗に光った笑顔の彼は 何処へ行った



    帰ってこないかい  君の仲間が待つ 希望のコートへ
  そう ・・ もう一度 ラケットを握って  あの日のファイトを 見せて欲しい
  流れる汗で スポーツ心を洗う 君の姿が見たい

    コートを踏みしめる足が ないのなら 私達が創ろう  スポーツマンの知恵と心で
    かつての君が そうだった様に テニスプレイヤーの心は 今でも温かい!



 この詩は ケガで テニスを 諦めた人のことを 思い
 何か工夫が 出来ないか・・ と 記したものです・・
 いろいろな人達の心を 少しでも 動かすことができれば・・

1977年から研究開発を続けてきた車椅子テニスの具体化に向け、1981年発行のルプトプラン事業計画を 各方面に公開する B5版プリント(4ページ編集)の中に印刷し、配布しました。

ご紹介のNPO事業の前半は、車椅子テニス環境づくりの取り組み内容が大半ですが、車椅子テニス競技は ハンディキャップテニス の一部です。
各テニス内容をサイト上で10数年間、各種発行資料では30年近くにわたって、公開、紹介を進めて参りましたが、一部の人達はそれぞれの固定観念によって、言葉や単語の意味を 個々の勝手な考え方で決めつけ、時には自分が好むテニス内容のために、他の競技内容を排除しようとすることもあります。

下肢の運動機能が不足した状態でテニスを楽しむ方法は車椅子ばかりではありません。 杖を使用した方法や補装靴を装着した状態、義足を使用している状態のプレーも可能です。 こうした点を 研究した上で、車椅子を使用するテニス環境づくりが最初の取り組みとなりました。

当時は海外の車椅子テニス情報が皆無の時代です。 実現むずかしいと考えられていた車椅子テニスの開発・普及が進めば、車椅子を 使用しない(※立位)人達の運動機能障害に対する理解とテニス参加への道も容易に開けるものと考えました。

しかし、一部の優れた車椅子プレイヤーが輝くことができましたが、体力少ないために自分の力で車椅子を動かすことに苦労する人達には、競技や練習に参加する機会も与えられず、体力や運動センスに優れた人達のみが参加出来るエリートスポーツのひとつが誕生したことに 留まっています。


日本国内には身体障害者として確認される人達が、身障者手帳を所持する人達だけでも約340万人(※2006年統計)おります。 実数はこの人数を大きく超える人達がおります。
こうした人達と障害のない人達も合わせたすべての人達が、障害の有無などにこだわらず 共に楽しめる良きスポーツ(テニス)環境づくりが望まれます。 

普及対象の規模が大きい・・ と考える方々が多いかもしれませんが、目指した方向に誤りなく、NPO団体の活動には 30数年の時間を 投入しています。
2016年・・ このNPO事業は 一部企画と資料情報の編集・管理を残して終了します。 file dev20 / dev21

終了の理由は・・ NPOとしての全力を出しきったといっても過言ではありませんが、本来、取り組むべき立場にある専門協会の尽力に委ねたいと考えています。
リスクを避けることなく、積極的に取り組みを進めないと、国内テニス界の発展はむずかしく、真の万人スポーツには遠い存在になることが懸念されるところです。

当初のテニス開発は、下肢の運動機能を失った人達も楽しめるテニス環境を目指したものですが、<障害>というカテゴリーにこだわったものではありません。
ハンディキャップテニスは、すべての人達を対象に、競技レベルや体力、身体機能などの違いが生み出す差別化を超え、共に楽しめる工夫が加わったテニスです。