新たなテニス環境開発の歩み  The step that created new tennis environment

     
  国内初の車椅子テニス講習実施 (定期会場 1 ) ・・

   ハンディキャップテニス研究開発/車椅子テニス定期講習 (七沢会場/厚木市)

1982年 横浜市内の大学病院を訪ねて、車椅子でスポーツ参加している人達の情報を求め、紹介して戴いた神奈川県リハビリテーションセンターの体育課責任者・橋谷氏を訪ねました。 そこで 「車椅子を使用している人達にテニスの楽しさを 紹介したいのですが・・」 と申し入れたところ、「テニスを導入したことはないが、良いことと思う」 と 快く 車椅子テニスの実施を 受け入れて戴き、施設敷地内にあるハードコート 1 面を使用したテニス講習が始まりました。

テニス経験のない、車椅子を使用している人達を対象とした講習は、この時が国内初の企画になりました。 センターへの移動に往復3時間以上を必要としたため、講習は毎月1〜2回実施し、国内初の車椅子テニス競技大会をこの施設周辺の会場を使用して開催した1984年まで継続しました。

当初、毎月のテニス講習は必ずしも順調には進みませんでした。 事前に日程を連絡してセンターを 訪問するのですが、練習参加者 という日もあり、講習実施を出来ないままに横浜(自宅事務局)へ戻ることも何回か・・ありました。
関心が高まり、各地で普及が進み出した時代とは異なり、こうした企画が定着していくまでに多くの時間を必要とするのは、止むおえないことです。

この講習企画には、共に活動団体を立ち上げた当時からのパートナー・長谷川登氏や中村孝三氏などが仕事の貴重な時間を調整して協力しました。
しかし、当日の参加者 のときもあり 一緒に行動した方々に申し訳なく感じましたが、継続することで、このテニス開発の取り組みに理解が進むものと考えました。
   
  
テニス講習には、参加者 0 の日を 除き、毎回 2〜5名の人達がテニス練習を 続けました。 参加した人達の大半が車椅子バスケットボール経験者であったことから運動能力が高く、基本通りのスイングを学んだ10数分後に 初めて握ったラケットから スピードとコントロールを伴ったボールを 打ち返してきました。

ボレーショットも見事なラケット操作で返球する様子に 車椅子テニス環境づくりに取り組みを始めた私達関係者は、最初に頭の中に描いていたイメージを大きく超えたテニスプレーが見られ・・ 一般の初心者が数ヶ月間の練習を要する技術を車椅子を使用した人達が、初回練習のショットで見せたことは・・ 印象的でした。
国内車椅子テニスの将来性について期待を高くさせてくれた当日の感動は・・  30数年 経過した今も 忘れることはありません。
講習は毎回1時間ほどでしたが、参加した人達は 指導内容を素直に受け入れる能力があり、車椅子バスケットボールの経験者としての優れた運動能力もあったことも 良きプレーにつながったものと思います。

身体に障害がある人達はスポーツ参加はむずかしい! との考え方が多い時代は、車椅子で楽しむテニス環境づくりに理解を示さない人々が数多くおりました。
様々な社会環境の中で、工夫する能力が少なく、新たな内容を求めるための革新(イノベーション)の意識もない状況の中で、古い常識ばかりを優先すれば、優れたスポーツセンスのある人達の発掘は進みません。 

    
  
車椅子テニスを最初のプログラムにしたNPO事業は、次の新しいテニス開発や環境開発に取り組みましたが、当時、感じたことは・・・
 「テニス界は・・ すべての人達に対して、建前や総論ではなく、実際に参加のできる機会や環境づくりをつくり出す取り組みを早くに進められないのか? また、
テニスの普及発展に向け、” 温かな理解 ”と ”知恵や工夫 ” を 既存のテニス愛好者達やアスリート以外の多くの人達のために注ぐことができないのか?・・」
 との思いが 強く生まれました。

 「むずかしい内容だから・・ 取り組んでも不可能に思える・・ 」 との考え方から、チャレンジした時の失敗を 心配しているだけでは、何も生まれません。
みんなが楽しめるスポーツ環境づくりは、工夫すれば・・ 既存の競技コートの中だけではなく、社会の隅々で進めることができることを実行する人達が望まれます。

楽しむ体力や運動機能の有無などでスポーツ参加を制約しない考え方が必要です・・ ここにご紹介の車椅子テニスもその一部です。
制約することで・・車椅子をコートに持ち込むことは 認められない!と考えたり、体験機会を多くの人達に提供もできないのはマイナースポーツの世界です。
古い固定観念には縛られない子供達のような自由な発想力と恐れも知らない行動力が、誰からも愛される本物のメジャースポーツの世界を育みます。

  
アスリートや愛好者が記録や勝利を目指すのはスポーツの魅力のひとつですが・・ 一方、新しいスポーツ環境づくりを考え、大切なものを創り出す立場にある人達は、名声などにこだわらず、次の一歩に進むことが大切です。

こうした点の指摘は、ご案内の車椅子テニスの環境づくりの道筋で、心ない言動によって普及のNPO事業が中断させたりする問題を起こした人達の存在に苦慮した経験ありますが、心温かな理解と協力によって活動はその後も継続し・・ いろいろな人達を元気づけ、世界に輝くアスリートの誕生にもつながりました。

様々な問題に遭遇しながら進めた新しいテニス環境づくりのハンディキャップテニス・・ 
このテニス名称に冠した <ハンディキャップ> とは?・・ テニス環境開発に取り組んだ人達とは別に、乗り越えなければならない問題(障壁)を<ハンディキャップ>の言葉の中に含まれているように感じたNPO事業です。

なお、リハビリ施設などを最初に使用して進めた車椅子テニスの世界・・ 他の運動機能障害のある人達も含め、このテニス開発の目的は身障者スポーツの世界に留めることはありません。 障害の有無を超えて楽しむ市民スポーツとしての普及・発展が目的です。

車椅子使用の有無を問わず、様々な障害内容のある人達を主対象として進めた活動ですが、当初からこのNPO事業活動の対象は、障害者ではありません。 
すべてテニス愛好者と考えて推進して参りました。 障害が存在していても、テニスを楽しむ環境では、身障者の名称は不要です。 障害があることでプレーし難い点があれば、工夫して不足する内容を補うだけで、誰でも参加出来ると共に、一緒に楽しめることも出来るのが 真の万人スポーツです。

車椅子テニスは、多くの工夫と地道な研究、実践の積み重ねで生まれ、魅力多いスポーツのひとつとして誕生しています。
国内の車椅子テニス環境は、NPO団体の独自な活動から生まれ、海外(米国)を発祥地とした車椅子テニス競技の情報が皆無の中で活動が進みました。

当時、テニス協会やテニス関係者は関係情報などを保有、確認していない状況にあり、もし、早くに関係資料を入手した上で協会として国内の車椅子テニスの普及に尽力されていれば、ここにご案内のNPO団体による様々な活動事業は不要でした。


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