新たなテニス環境開発の歩み  The step that created new tennis environment

  運動機能障害全般を 対象とした取り組み (定期会場 2 ) ・・

  ハンディキャップテニス総合研究への取り組み

先に開設の七沢会場(神奈川)と併行し、同じ1982年9月・・ 埼玉県の国立身体障害者リハビリテーションセンターを訪ね、リハビリテーション体育の水田賢二氏を中心としたセンタースタッフ各位の協力を戴き、運動機能障害のある肢体不自由の人達全般と聴力障害の人達などを対象としたテニス指導を開始しました。

国内の代表的施設である同センターをお訪ねした際、水田先生から 「このセンターは、すべての障害内容を対象とした機能訓練と職業訓練を実施する施設です。 車椅子使用者に限定しない方法でテニス指導を考えてください」 とのことでした。 この指針は、当団体NPO活動の取り組みの基本と同じ考え方です。

活動の始点は、車椅子を使用している人達を対象とした内容ですが、下肢の運動機能を失った人達のすべてが車椅子使用者ではありません。
このNPO事業は、車椅子テニスだけが目的ではなく、障害のある人達のみを対象にした取り組みでもありません。 誰でも いろいろな人達と差別なく楽しめるテニス環境づくりの必要性を感じ、取り組みを進めた活動です。

七沢会場の定期講習終了後の1984年以降も継続した会場ですが、横浜から往復4時間以上を要する施設です。 毎月2回前後の定期的な講習を10年余の期間にわたって実施したこの会場では、神奈川県ライトセンターで実施した国内外初の <視力ハンディキャップテニス公開講習会> と同じテニス講習を進め、全盲や弱視の人達にテニス競技の楽しさを紹介しました。 定期的に実施した講習の延長線で開催した視覚ハンディキャップテニス大会も国内外初の企画として、その後も、30年近く長くこの大会は継続されています。

この会場で実施した最初の講習会には、ハンディキャップテニス総合の名称通り、CP(脳性小児まひ)、CVA(脳血管障害)、AM(切断)、S I(脊髄損傷) などによる運動機能障害のある人達34名が参加し、ほとんどの人達がテニス未体験者でした。 中には、事故や疾病による障害のハンディを負う前にテニス経験のある人達も数名加わっておりました。 下記の写真で紹介の横川富洋さんもテニス経験者のひとりです。 疾病で車椅子生活に入り、センターで職業訓練を受けていた当時の定期講習にも参加し、久しぶりのテニスプレーを楽しんでいました。 

   

この会場では、車椅子使用者を含めた様々な運動機能障害のある人達や聴力障害の人達を対象とした定期的講習を企画し、日本女子テニス連盟埼玉県支部の支部長・坂井さんからの協力申し出も戴いたことで、同支部の多くの会員がボランティアとして参画して長い期間にわたるテニス講習を継続することが出来ました。

更に、横浜会場で進めていた視覚ハンディキャップテニス内容を この国立リハビリテーションセンターにも紹介しました。 
企画内容を視覚ハンディキャップテニスのプログラムにも拡大したことにも女子連埼玉県支部の会員各位の協力を戴き、この会場では、他のリハビリセンターとは異なり、車椅子を使用する人達を含み肢体不自由、聴力障害、視力障害などすべての障害内容に対応したテニス指導を進め、センターに入所していた人達が訓練後の時間を活かしてテニス参加を楽しみました。

しかし、当時まだ各地に車椅子でテニス練習の出来る環境は皆無に近く、当時のテニス練習参加者はセンターで生活しているときだけになってしまいました。 画像の横川さんをはじめ、車椅子使用の人達が楽しめるテニス環境もほとんどなく、環境づくりへの理解も全くなかった時代が長く続きました。

テニス協会など専門家で構成された関係組織をはじめ、数百万人といわれたテニス人口が存在している時代でしたが、既存のテニス愛好者以外の人達がテニス参加の出来る機会は少なく、機能障害のある人達がテニスを楽しむことに対する配慮など期待できない時代でした。

近年、アスリートとして活躍する車椅子テニス競技では、ごく限られた人達のみが一般テニスコートで練習の機会を得ることが出来ますが、体力少なく、運動能力的にも身体機能的にもスポーツ参加がむずかしいと見なされている人達に対しては、周囲もテニス協会などの関係方面の理解少ない状況が近年も続いています。

国内では、その練習・競技環境が皆無に近い時代から取り組みを進めたNPO団体が目指した新しいテニス環境は、記録や名声を求めたものではないのですが、こうした点に気づかない人達や関係の専門組織には失望させられます。


こうした状況は、その後の事業展開で、車椅子テニス関係を主とする取り組みから、上肢や下肢(立位)、聴力や内部障害、心身障害、精神障害の人達までを対象とした取り組みにまで活動範囲を広げると、車椅子テニスのみの普及にこだわる一部の人達から・・ 車椅子テニスの普及を妨げる団体・・とのデマを流されて偏見を生み出しました。

この偏見や誤解の影響を受け、信頼し、良き情報交流を続けてきた人達との絆も断たれ、東京・有明テニスの森公園で8年間にわたり開催した日本ハンディキャップテニス大会には、車椅子テニスの経験豊かな人達が参加する道が閉ざされました。 

車椅子テニスに高い関心が集まるに従い、マスコミの前面に立ち、名声を求めたのでしょうか・・ それまでテニス参加の機会が得られなかった多くの人達のテニス環境づくりではなく、競技実績の高い人達を中心としたテニス環境が設けられるに留まることになりました。 テニスに限りませんが、スポーツの多くは " 爽やかさ " が広くイメージされていますが、その陰の部分のアンフェアな動きは、スポーツの良き発展を阻んでいます。 新しいテニス環境づくりの開発普及に向けたNPO事業は、心ない人達に言動による影響を受けて苦慮することが少なからずありました。

苦慮させられた事例として、当団体で使用していた車椅子のタイヤが損耗したために修理交換を関係メーカーに問い合わせたところ、車椅子テニスの普及を妨害している団体と誤解され、なかなか修理に応じて戴けない時期も長くありました。 修理の出来ない摩耗したタイヤは、指導者講習の実技体験の際に、スリップして駆動力を欠き、回転や停止のレベルが低下してことで苦労しました。 新しいテニス環境の陰で生まれた心寂しい一例です。

いろいろな問題に遭遇したNPO事業でしたが、5年後、10年後に国内各地の施設訪問や地域講習などを企画した際、リハビリセンターでテニス講習に参加した人達と出会うことがありました。 その人達が社会復帰されて元気に活動されていた姿に再会できたときは、長くこうした活動を継続した関係者には大変うれしいことでした。

長い期間にわたり、通い続けた国立身体障害者リハビリテーションセンターの敷地内には、職員用のテニスコートがありました。 その一部は、国内に多いクレーコートですが、そのコート上で車椅子テニスのプレーが出来るのかを確認するテストを行ない、データづくりも 進めることができました。
テスト結果は、車椅子のタイヤ跡は残るものの、ハードコートに比べて走行性が低くなる結果を除けば プレーに大きな影響はありませんでした。

クレーコートの特性を活かしながら車椅子テニスと通常のテニスとの共存を工夫することは必要です。 日本のクレーコートに類似した フランス・ローランギャロスなども赤土のコートです。 車椅子テニス競技にとってハードコートは最適ですが、国や地域によって様々なコートがありますので、どのようなコートでも楽しめるように、研究工夫が各地で進むことが望まれます。

この国立身体障害者リハビリテーションセンターの敷地に隣接して、当時、中国帰国孤児の人達を対象とした国内定住のための定着促進センターがありました。
国立リハビリテーションセンターの講習終了後の時間を活かして、そこで生活されていた帰国孤児の人達を対象としたスポンジテニスを紹介し、ゲーム方法などの講習を実施しました。 

日本語などの勉強で疲れる生活が続く中、少しでも楽しみを増やすひとときに役立てばとの考えです。 この定着センター関係者に提案したところ、良き理解と協力が得られ、活動時間の関係で休止した期間もありましたが、用具を寄贈するなどして、帰国孤児の人達とのミニゲームを楽しむ機会を育みました。

この企画で、帰国孤児の人達は卓球王国の中国で生活されていたため、球技のゲーム感覚に慣れていたのでしょうか、テニスを早くマスターしたことは印象的です。
こうした企画提案が進んだのは、当時の定着センター責任者が帰国孤児の人達に対するやさしい思いやりがあったことにより実現したものです。



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