新たなテニス環境開発の歩み  The step that created new tennis environment
     
  車椅子使用の人、片まひの人が ボランティアとのペアで一般テニス大会参加・・
  
1983年9月・・  初めて車椅子を使用した人達が競技選手として参加が認められ、ボランティアパートナーとのダブルスペアで運動機能障害のない一般のテニスペアと対戦して勝利しました。 記録的には国内初の大会1勝です。

それ以上に、車椅子を使用した機能障害の人が身障者スポーツ大会ではない一般テニス大会にエントリー出来た内容が、車椅子テニスを含むハンディキャップテニス開発普及の取り組みが目指したもので、こうした企画も 認めて戴いたテニス仲間の理解があって実現したものです


横浜・本牧テニス大会 ( 第1回 1983年 / 第2回 1984年 )









第1回大会参加の相沢さん(左)は、この大会の7年ほど前には実業団チームで活躍していましたが
疾病によって車椅子の生活に入った方です。 技術的に見事なプレーを見せましたが、疾病からの体力不足による負担は大きく、当時はまだテニス競技用の車椅子のない時代で、コート内の移動に苦労する様子も見られました。

こうした車椅子での競技参加実績の積み重ねが、その後、高性能テニス専用車椅子を関係企業が設計製造することにつながっていきました。

第2回大会には、難病で左半身が麻痺になった弥恵さんも参加しました。国立身体障害者リハビリテーションセンターで出会い、テニス練習を続けていた少女です。
弥恵さんが国立リハセンターで毎月2回定期的に実施していたテニス講習に、初めて参加したときは、左の手足は障害の影響で非常に動きの悪い状態でした。

彼女は打球するために左右に少し動くときに、しばしば転倒しました。
無理な動きを要求したのではありませんが、左足が思うようには動かないためです。
しかし、転んでも立ち上がって、ニコニコしながら打球練習を続けたのです。

レッスンを重ねるに従い、横方向に20〜30cm離れた位置にボールを送り、左右に動いて打球できるレベルを少しずつ上げました。

機能訓練を終了、社会復帰後に就職して趣味を増やし、テニス大会にも参加するなど、難病を克服して元気に活躍する姿は彼女の周囲を明るくしたことと思います。

テニス練習に参加した理由を尋ねたところ・・ 高校生活にはバレーボール活動の経験がありましたが、難病を発症したことで、運動参加はむずかしくなり、やむなく機能回復訓練の生活に入りました。

しかし元気なとき、テニスもやってみたいとラケットを買い求めたばかりだったとのことでした。 まだ使用していなかったラケットで機能訓練施設内でのテニスに参加できるとは思わなかった・・ と話してくれました

左は テニス競技用車椅子  右は 旧スポーツタイプ車椅子
 車輪のキャンバ角度を増やすと、直進性能が低下しますが、転回性能は高くなります。

 近年の競技用車椅子は軽量化が進み、テニスに限らず、マラソンやバスケットボールの車椅子も、使用する人達のプレースタイルに合わせ、製造時から調整されています。

本牧テニス大会 競技スナップ

 競技用車椅子の価格は、テニス競技用は数万円台からありますが、高性能タイプは250,000円以上です。

 高価格の車椅子は使用する人の好みに合わせてオーダーメイドが可能です。 レベルの高いアスリートを目指す人達は別として、低価格の車椅子でもテニスを楽しむことは可能です。

 なお、肘掛のついた車椅子はテニス競技には適しません。

ここに紹介のおふたり・・ この大会参加後の5〜10年近くは音信がありましたが、既に30年弱の時間が経過しました。
このふたりに限りませんが、様々な運動機能障害のある人達が国内に数百万以上存在します。 その中で、こうしたテニス企画に積極的に参加された人達ですがが、新しいハンディキャップテニス環境が育まれていく上でのパイオニアでもありました。

なお、車椅子テニスはじめ、運動機能障害の人達のテニス参加を主としてご案内していますが、知的障害など心身障害の人達のテニス参加も可能となる環境づくり、また障害の有無にこだわらず、子供達から高齢者、更に、体力のある成人もハンディキャップテニスのユニバーサルスポーツとしての対象です。 テニスを小さなスポーツにはしない考え方があれば、テニスの魅力をこれからも限りなく掘り起こしていくことが可能です。
周囲で可能な限りの工夫を進め、楽しみたい人達も最大の努力を惜しまないことで・・ テニスの魅力が 輝く働きと時間を生み出します。

当時、’85 障害者福祉週間の総理府広報の映画館用CF製作に協力しました。 障害のある人達とボランティアが地域大会に参加する模様が撮影、編集されて・・ その広報映像は各地の映画館で一般映画が始まる前の数分間上映されました。

しかし、その後30年近くを経た現在、国内のテニスコート上に、この大会参加のようなテニス風景が見られることは皆無に近く、運動機能障害のある人達のテニス参加にコート施設の利用機会を増やすなどテニス関係者、事業者の理解が生まれる土壌の少ない状況であれば寂しいですね!
こうした指摘に対して、反論して具体的な取り組みを進める人達、テニス関係者の活躍が増えること期待されるところです。


1994年に理解のある関係者のボランティア活動によって、ハンディキャップテニスルールブックの英語版( 参考) )の編集を進めた際、米国では、ハンディキャップテニスなどに区分しないで、日常的に車椅子や杖などを使用した人達が多くのテニスコート上でプレーを楽しんでいるとの情報がありました。
従来にはなかった新たなテニス環境が、国内各地でも 日常的に見られるようになれば、テニスは名実共に万人スポーツとして認められるところです。

日本国内の車椅子で楽しめるテニス環境づくりが 多くの人達、各界各方面の支援協力で進みました。
重度の障害がある人達のテニス参加の機会も設けましたが、まだ、身近でテニスとふれあう環境が皆無に近いといってもよい状況にあります。

大会競技を目指す一部のアスリートを除くと、自らの力で車椅子を操作して生活している多くの人達には、テニスを楽しむ機会がほとんどありません。 スポーツが健康の維持に、また、いろいろな人達とふれあう機会を数多く生み出すことにつながることを願って取り組んだNPO事業ですが
このテニスに必要な車椅子が高価格では、普及の道は閉ざされてしまいます。

20数年前、低価格で一定の性能レベルを有する車椅子設計に理解のある企業と共に取り組んだことがあります。
しかし、車椅子テニス分野の主導権を得ようとするために手段を選ばない人達の存在が、協力企業の熱意を失わせて事業は打ち切りになりました。
新しいテニス環境づくりは簡単ではありません。 この1983年以後もNPO事業は続くのですが・・ 2013年までの歩み・・ 振り返ってよく立ち止まらないで進んだと・・ 思います。



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