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<日本ハンディキャップテニス・シンポジュウム> の開催 ・・ | |||||||||
1984年に開催した国内初の<日本車椅子テニス競技大会>終了後、大会関係者をはじめ、運営協力の団体関係者、一部の参加選手と同行の関係者を加え、 当日の大会を観戦された 藤倉五郎氏、近岡義一郎氏に出席を戴き、第1回<日本ハンディキャップテニス・シンポジュウム>を厚木市で開きました。 |
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第2回シンポジュウムは、1986年4月5日〜6日の2日間にわたり、各地の関係者や各界専門家を招き、運動機能障害のある人達の練習環境と今後の全国組織などの議題について、発表、討議などの2日間のプログラムを実施しました。 ※プログラム内容 この会議には、日本テニス協会、国立身体障害者リハビリテーションセンター、横浜市身体障害者団体連合会、関東労災病院などの関係者、福岡県飯塚市、大阪や名古屋市からも練習や指導現場の関係者に参加戴き、こうした方々に加えて、日本女子テニス連盟や地域テニス協会の関係者などハンディキャップテニス活動に関わっていた方々等・・ 50数名の人達が2日間の各会場で視察と意見交換などを進めました。 ※第2回会場の資料画像は見つかりません。 第1回の会場スナップの一部を紹介します。 |
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このシンポジュウムに先立ち、実施した各地の活動状況のアンケート調査を行いました。 調査当時(1986年)の国内各地の練習・指導活動状況は ・・ ●福岡では 飯塚ローンテニスクラブなど3会場 ●広島では 広島市心身障害者福祉センター ●静岡では 浜松市立勤労青少年ホーム ●大阪では 泉が丘テニスクラブ ●兵庫では 芦屋グリーンランドテニスクラブ ●東京では 中野区立体育館 ●愛知では 名古屋市身体障害者スポーツセンター、愛知勤労身体障害者体育館 ●神奈川では 横浜本牧市民公園テニスコート他1会場 ●埼玉では 国立身体障害者リハビリーテーションセンター を 会場としていました。 当時開催したシンポジュウムのタイトルは ”ハンディキャップテニス” です。 しかし、新たなテニス環境づくりの取り組みは ”車椅子テニス” ではないのか? と・・思っていた方々が数多くおりました。 車椅子テニスは、その内容も練習・競技環境も国内には生まれていない時代・・ ハンディキャップテニスの一部とするのが 車椅子テニスであること・・の紹介を図り、普及を進めたNPO事業として最初のプログラムであることを テニス関係者やテニス協会は正しく理解することが大切です。 車椅子を必要とする人達の愛好者団体が進展することは望ましいところですが、理解不足と偏見などから運動機能障害の人達にテニス参加の機会が設けられておりません。 このため、当時のシンポジュウムに招きました団体や各関係の方々は、車椅子テニス関係者に限定したものではありません。 ハンディキャップテニスの対象は、車椅子テニスに限らず、また、身障者に限った内容でもありません。 ひとつのコンテンツにこだわるものであれば、早くにNPO事業活動を終了していたところですが・・ ハンディキャップテニス は・・すべての人達を対象にしており、競技レベルや体力、身体機能などの違いが生み出す差別化を超えて共に楽しめる工夫が加えられたテニスとして、NPO事業は進展してきました。 横浜会場では、精神障害(中レベル程度)の人達や心臓疾患の治療後の人などを含む障害については全般近くの人達のテニス参加のできる環境づくりに加え、障害の有無に関係なく、競技力の差にもこだわらずに共に楽しめるテニス環境づくりを進めました。 JHTFが これまでに対象とした 障害内容は ・・ |
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■聴覚障がい、内部障がい、知的障がい、複合障がい、視覚障がいの人達 ■肢体不自由の人達 (機能障がい、切断、脊髄損傷)の人達が車椅子や杖、歩行器、義手、義足などで参加) ■車椅子の移動に介助の必要な重度障がいの人達 (家族や付添い者と一緒に参加) ■脳血管障がい(CVA)後遺症や脳性小児麻痺(CP)の子供達並びに成人 ■両麻痺、片麻痺、三肢・四肢麻痺の方、また、両手の機能障がいでラケットを握れない人達 ■聴覚障がいの人達 (指導者や周囲の人達の簡単な手話と口話を練習やゲームに採用) ■視覚障がいの人達 (サウンドテニス、視覚ハンディキャップテニスとして競技開発しています) |
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