新たなテニス環境開発の歩み  The step that created new tennis environment
     
  国籍や地域を 超えた 心豊かなスポーツ人に ・・ 国際児童ショートテニス 公開 講習 & 大会

'89 横浜博覧会 の市民企画として <国際児童ショートテニス YES '89 大会> をエントリーし、第1日目は MM21の横浜美術館前で体験講習会を実施
  第2日目は 国内並びに米軍基地の子供達チームなどを招き <国際児童ショートテニス大会> を 横浜市磯子スポーツセンター会場で開催しました。


博覧会会場は、当時の三菱重工業横浜造船所と国鉄操車場の跡地などを都市開発の一環として再開発した地域で、横浜みなとみらい21(略・MM21)地区の中で1989年に開かれました。
横浜市制100周年、横浜港開港130年を記念して開催された博覧会は、1989年3月25日〜10月1日の191日間に1,333万人の来場者がありました。

この開催に当って、横浜博覧会は催事参加に市民グループなどの団体を募集し、「ハンディキャップテニス研究協会」(※現在のJHTFクリエイト)として応募、企画内容と実施方法が博覧会協会に認められて 国内初の <国際児童ショートテニス YES '89 大会> の名称で開催しました。

この企画の開催場所として申請したのは、横浜美術館前の広場です。  会場内でこの場所を選んだ理由は、当時は現在の横浜ランドマークビルやパシフィコ横浜などのビルも建設されておらず、完成していたのは横浜美術館など僅かな建物のみでした。 

このため企画したイベントの開催場所が長く変わることなく残ることにより、参加した子供達の思い出の場所になると考え、選択しました。 当時は5歳から8歳の子供達も現在は30代になっています。 再び、海外からこの場所を訪ねる人達があれば 思い出が 爽やかによみがえると良いですね。



YES は  YOKOHAMA EXOTIC SHOWCASE の略

横浜美術館前の広場は石畳でした。 最初の企画段階では石畳の上に5mm厚のベニヤ板を張り詰める予定でしたが、終了後の撤収時間なども考え、当日はベニヤ板を張らないコートも特設し、会場を訪れた子供達に初めてのテニス体験を楽しんで戴きました。 ベニヤ板を使用しないコートでも打球体験に問題なかったのは、スポンジボールだから可能にしました。 この点はその後の様々な場所でテニスを楽しむ環境づくりに良き経験資料を生みました。
各方面の協賛支援に加えて、当日の会場準備やテニス指導には日本プロテニス協会のコーチ各位とボランティアの皆様方が協力して戴き、子供達の笑顔と躍動する姿が周囲で観る人達の笑顔と拍手を誘っていました。

イベントの第2日は、横浜博覧会会場から 場所を 横浜市磯子スポーツセンター体育館に移して、<国際児童ショートテニス競技大会>を開催しました。
会場を移したのは、規定の競技コートを 4面特設する準備と 万一の雨天に備えたものでした。

大会競技は、7歳から8歳の子供達で構成するAリーグと 6歳以下の子供達で構成するBリーグに 計17チームが参加し、Aリーグはシングルス戦、Bリーグは大会特例として、テニス経験者が加わるスーパーミックス方式で行いました。

Aリーグは 湘南スポーツセンターA1チームが優勝し、Bリーグは 米海軍横須賀ベースチームが 優勝しました。 
Bリーグに優勝した子供達の笑顔の写真が 基地内の Navy News の紙面 に大きく掲載され、その新聞が大会後、主催事務局に送られてきました。

このイベントの企画に当っては、国籍を 超えて子供達がテニス競技を楽しむ機会をつくることに加え、もうひとつの目的がありました。
当時、スエーデンで誕生したショートテニスの内容が日本に伝わり、国内では 3つのスポーツ企業によるこのテニスの普及に取り組みが進みました。
   トレトン(※国内ではウイルソンが発売) 日本ダンロップ  ミズノスポーツ

しかし、3社の競技コートは、外形 13,4m×6,1m のバドミントンコートと同じサイズを適用しながら、サービスコート設定に違いがありました。
  @ サービスコートをセンターラインで左右に区分して、サービスラインを設定しない競技規定  A サービスラインを設定する競技規定  B サービスラインの設定に硬式テニスコートの既存ラインを活用した競技規定 ・・ こうした競技規定の違いは、サービス方法が異なるために子供達の競技交流にも影響します。

硬式テニス競技に もし? 競技団体や国や地域によってサービスコート規定に違いが存在したら・・ 国際競技の実施も発展もむずかしくなります。 スポンジボールを使用したテニス競技も同じです。 このため、3社のコート規定を研究し、それぞれの特徴を一部でも取り入れることに努めた上で、コート特設の方法を誰にでも分かり易い数値とした競技内容を設計しました。 現在のS・ST (スポンジ・スーパーテニス) Ver.1コートが基本規定の内容です。
  
 ↑ ↓  当時の大会プログラムの一部 と 新聞掲載記事

   

  

国際児童ショートテニス競技大会> には、国内チームは神奈川、東京、埼玉、千葉から参加しましたが、唯一 外国チームとして参加した米海軍横須賀ベースチームのメンバーは全員がテニス経験もスポンジテニス経験もない子供達でした。
この子供達のテニス指導に協力して戴いたのは日本プロテニス協会のコーチです。

当時、当団体の活動に様々な内容で支援されていた日本プロテニス協会の澤田誠氏の紹介により、横須賀ベース内の職員と家族のテニスコーチをされていた方に、この企画の意義と開催の趣旨を理解して戴き、横浜博覧会開催前の2ヶ月間、基地内に住む海軍関係者の子供達に毎週、スポンジテニスの指導を進めて戴きました。 競技内容の説明も兼ねてコーチのアシスタントとして同行させて戴きましたが、その熱意と優しさのある指導には今も感謝しております。

 
(※20数年前のNPO事業で、多くの資料の中に、このときのプロコーチのお名前の記録が見つからず、大変申し訳なく思っています)

こうした温かな協力もあって、参加した米海軍横須賀ベースの1チームがクラス優勝しました。 喜んだのは子供達ばかりでなく付き添い観戦したご家族も、日本の子供達と一緒にテニスゲームを競い合うことの出来たこのイベントの意義を認められたひとときでした。

国内初の企画でしたが、互いに言葉も違う子供達ですが、少ない時間でマスターすることの出来るテニスを通じて、良きライバル、良き友達としての交流が育まれていくことにつながればと・・ イベントの準備と運営、体験参加のテニス指導などに協力された多くの方々の願いでもありました。
25年前のこの企画は、現在はS・ST として開発が進み、スポンジボール使用のテニスは、競技のみでなく社会活用面でも優れた特徴が開発されています。