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音響ボールの開発過程で盲人卓球ボールの活用を提案して戴いた武井視良さんが 2011年1月16日にJR駅ホームの転落事故で他界しました。

別記に紹介しておりますが、視覚ハンディキャップテニス横浜会場の講習に初めて武井さんを招き、最初は鈴を挿入していた音響ボールを紹介しました。
音響材料に盲人卓球ボールを使用したのは、鈴よりも残響があり、彼の提案した内容は音源の研究開発では大きな役割を果たしています。

当初、視力のない人達が安全にプレーする方法として視力のある人とのミックスゲームを開発しましたが、彼の天才的な運動能力を見て、シングルス競技方法の開発を進め、現在の視覚ハンディキャップテニス競技(※ブラインドテニス)とサウンドテニスを誕生させ、現在に至っています。

武井さんとの出会いがなければ、シングルス競技の開発に踏み切ることはもっと遅くなっていました。 若くして他界した武井さんは、優れたプレイヤーとして、また視覚ハンディキャップテニス協会(※その後、協会はブラインドテニス連盟に改称)の代表としても活躍していました。


このたびの事故がなければ・・ 武井さん(※以下の文面では、 と表示することもあります) と しばらくぶりに再会した上で、現在の様々な問題点について話し合う予定でしたが実現できませんでした。 必ず連絡します・・ と電話してきた彼ですから、私との再会を妨げる動きが存在していたとすれば残念です。

振り返って彼の残したものに思いを進めますと・・ 多くの人達に与えた感動と視力障害のある人達がチャレンジすることによって生まれる喜びや自信をもつことの大切さを多くの人達の記憶に刻む役割を果たしたことと思います。

過日、国立身体障害者リハビリテーションセンターで継続的に実施したテニス講習の終了後、彼と同行して高田馬場駅近くまで戻る電車内で会話したいろいろな雑談、こうした会話の中からも競技開発の新たな内容が生まれました。

いくつかの事情が生じ、当連盟メンバーは国立身体障害者リハビリセンター関係者などと共に設立した協会を離れました。 その後、競技の研究開発を継続した上でサウンドテニス競技を誕生させました。 このテニス開発基盤のひとつには彼の存在も考えた内容がありました。

当時、ふたつの活動に分かれて、視覚ハンディキャップテニスとサウンドテニスの団体機構が生まれました。
いずれのテニス内容もハンディキャップテニス研究協会(※現在のJHTFクリエイト)の開発した内容であり、ひとつに集約したかと思います。



サウンドテニスは、視覚ハンディキャップテニス(※ブラインドテニスに改称)と異なり、視力障害の人とない人が互角に対戦できるテニス競技です。

その対戦方法は、視力のある人も含めて誰もアイマスクを使用する必要はなく、更に一般のテニス経験豊かな人達が力加減することなくプレーすることを基本にした内容です。 彼が元気であれば、サウンドテニスの大きな競技世界の中で、視力のある人達を対戦相手として活躍し、大きな感動を生み出したことと思います。 

ふたつのテニス内容を集約することは将来のこととして、視覚ハンディキャップテニス(※現在はブラインドテニスに改称)は身障者スポーツの種目として、サウンドテニスは障害の有無にこだわらない市民スポーツとして、ひとりひとりが自由にいずれの種目でも選択して楽しめるテニス環境は・・ 名実共にバリアフリーであり、ユニバーサルな内容でプレーできる共生社会づくりにもつながるものです。

武井視良さんとの出会いは20数年前に溯ります。 
当時、武井さんがプラスチックボールをテニスボールの代わりとして打球していると聞き、その練習指導に関わっていた東京都障害者総合スポーツセンター職員の高山氏との連絡で、彼が紹介を受けて横浜会場に来場したのが最初の出会いです。

次回、彼が参加した際に、盲人卓球ボールを音源にしたい・・との提案内容を検討して、最初の鈴を音源としていたものに代えて競技ボールをつくりました。
このボールとラケットなどを持参して国立身体障害者リハビリテーションセンターの視覚障害関係の担当者・加藤氏を訪ねました。

このテニス内容の紹介に先駆けて、同センターの車椅子バスケットなど各競技種目を指導されていた水谷氏を訪ね、車椅子を使用する人達などを含む様々な障害のある人達を対象としたテニス講習を定期的に実施していた関係から、視覚ハンディキャップテニスの講習が加わって同センターを訪ねる機会が増えました。

センターの加藤氏は視覚障害関係スポーツの専門家でしたが、盲卓球ボールを音源として挿入するために真半分に切断したスポンジボールを接着する方法に、伸縮力のあるキノシネテープの活用を提案して戴きました。 
開発当初には、接着剤を使用したり、糸で縫い合わせるなどしていた方法から、手づくりの競技ボールは効率的なテープ活用に移行しました。

練習指導に協力されたボランティア各位も含め、こうしたいろいろな人達との出会いによって、この新しいテニス競技の完成が進みました。
様々な分野の人達が、それぞれの環境や身体条件などの違いを超え、知恵や経験を持ち寄ることで現在に至るテニス内容が誕生しています。


新しいスポーツ開発は簡単には進みません。 長い開発期間を必要として、いろいろな人達が力を合わせることでむずかしいと考えられていた全盲の人がテニス競技を楽しめる環境づくりまでの道筋があります。 しかし、このテニス競技の考案を武井さんが進めたとする事実と異なる情報が広がりました。


そうした誤った言動を進めたのは誰なのでしょうか・・ 考えさせられた内容のひとつですが、その真偽を確かめる機会は 今はありません。
しかし、地道に積み上げられた競技開発の歩みは、実績内容と資料記録の公開により 多くの人達にスポーツの魅力を正しく紹介されることと思います。

武井さんの存在は、その爽やかな人柄を知るひとりとして、素晴らしいプレイヤーとして姿が多くの人達の記憶に残ることを祈念しております。


                  特定非営利活動法人 日本ハンディキャップテニス連盟

                              理事長  三宅 孝夫
 

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