ジム・クーリエ選手 (※当時、世界ランク1位)の 直接指導による <ハンディキャップテニスクリニック> の実現
                                                 

                                                         


1993年 兵庫県夙川テニスクラブを会場にして、当時、世界ランク1位のジム・クーリエ選手が、肢体不自由(車椅子含む)、聴覚や弱視などの機能障害ハンディのある人達を 対象にして テニスクリニックを行って戴きました。

国内初、世界的にも第2回目の企画になる <ハンディキャップテニスクリニック> は、ドイツに本社がある国際宅配便の DHLジャパン株式会社 の主催、協力で実現しました。 クリニックの受講者には、JHTFが各地で実施した講習や大会企画に参加した人達の中から、1都 2府 5県から12名を招待しました。

当時、1992年に全豪オープンと全仏オープンで4大大会2連勝を達成、世界ランキング第1位のジム・クーリエ選手による<ハンディキャップテニスクリニック>の企画には多くの報道機関からの取材申込を戴きました。


しかし、選手の来日目的が関西で開かれる国際大会に出場するためで、その大会主催者の意向で放送取材が認められませんでした。
その理由は、国際大会としてのニュースよりも このクリニック内容が国内初との企画でニュース性が高いと判断され、報道各社の取材は 直前になって
中止になりました。

唯一、取材が認められたのがスポーツ専門誌の 「Number」 でした。 雑誌は一般の人達が内容を目にする時期が 編集発行の関係から 国際大会終了以降になり、開催直前の国際大会の人気とニュースには 影響しないとの判断によるものと思われました。


このクリニック実現は、ジム・クーリエ選手とスポンサー契約を結んでいた DHL本社とDHLジャパン株式会社の温かな理解によって生まれたものです。
更に 日本女子テニス連盟兵庫県支部の皆様方と 夙川テニスクラブの良き協力がありました。




この日、ジム・クーリエ選手は、本来は翌日の大きな大会参加の練習時間としていた一部を このテニスクリニックに振り向けられたものですが、予定のクリニック時間を過ぎても、シャワー時間を 割愛するから大丈夫として  レッスンを継続して戴きました。 選手の温かな人柄を感じた機会と時間でした。

クリニックは 通訳を交えて、いろいろな障害ハンディのある受講者ひとりひとりに対して、丁寧にポイントレッスンを 行って戴きました。
運営団体関係者として 現在も感謝の念を忘れることはありませんが レッスン参加した人達と協力の各関係者にも 良き思い出になったことと思います。
世界ランキング 1位に通算 「58週」 も在位し、その後、競技の第1線から離れた後、テニスの殿堂入りされたジム・クーリエ選手の優しさは貴重でした。



ご案内の著名なプレイヤーから 無名の方々まで ハンディキャップテニスの新しいテニス環境づくりに力を尽くされた方々が数多くおりました。 
良きスポーツ発展の背景には 心温かな人達の存在がありますが ジム・クーリエ選手が テニスの良き普及に指導協力を図って戴いた 当時の貴重なレッスンです。
このレッスン後、ジム・クーリエ選手は 「 マイケル・チャンとの練習約束がある会場に向かう・・ 」  との言葉を残して クリニック会場を後にしました。

近年の海外では トップクラスのプレイヤーによる競技コートの外で社会活動されている実施例が いくつも伝えられてきております。
国内でも、こうした企画が数多く生まれることによって、テニススポーツが 不況などにも大きく影響されることのない発展に 結び付くことを願っています。




 


  20年近く前のスペシャルイベントのひとつですが ・・
  NPO事業の推進に様々な内容で関わって戴きました方々と 関係各方面に 改めてお礼申し上げます。