| ハンディキャップテニス研究協会 特定非営利活動法人 日本ハンディキャップテニス連盟 |
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| 開発プログラム資料(1977〜2000) | jhtf/datafile.2900 |
| このファイルはハンディキャップテニス研究協会並びに日本ハンディキャップテニス連盟が1977年から2000年 までの間、ハンディキャップテニス開発と関連企画に取り組んだ主催、主管関係の事業内容です。 研究協会(※当時はルプトプラン連絡協議会の名称)は、神奈川県総合リハビリテーションセンターに車椅子テニスの紹介と技術指導を、また、国立身体障害者リハビリテーションセンターでは車椅子テニスに加え、様々な障害内容に対応したテニス講習の機会を1982年から設け、1984年には国内初の車椅子テニス競技大会を関係者と共に厚木市で企画、実施しました。 更に1988年にはJHTF主催による日本ハンディキャップテニス大会を有明テニスの森公園で開催しております。 車椅子テニスについてはその後に専門協会を組織された関係者などによって各地に大会企画が進む状況を確認して、この車椅子テニスのみを活動主体とする動きからは離れ、障害のハンディ全般を対象にしたテニス開発と内容の啓蒙普及への道を進めて参りました。 紹介の各プロジェクト資料は、競技スポーツとして普及を図り、テニス参加の機会を通じたバリアフリーの社会づくりに向けて、幅広く各種の目標,目的を設けて進めてきた内容です。 ※画像は車椅子のコート導入に向けたテスト記録の資料からトップページの中でも紹介しておりますが、ハンディキャップテニスを身障者テニスのことのみと理解されている人達が数多くおられますが、本来の意味は運動能力や技術、体力の差を調整して楽しむテニス内容をこの名称としています。 優れた身障者スポーツのひとつとしても発展が期待される内容ですが、名実共にスポーツのバリアフリー化を目指す取り組みを各種資料の内容から理解を深めて戴ければ幸いです。 いづれのプロジェクトも数多くの人々の温かく全力を尽くされての協力支援がその時代を基点として現在の発展へとつながっています。 ※参照ページ ハンディキャップテニスとは 当時、最も具体化が難しいとされていた車椅子を使用したテニスの具体化とその競技内容の開発に取り組み、全盲の人達にも楽しめるテニス競技の具体化、重度障害の人達にテニス参加の機会を開くなどした点はハンディキャップテニスの研究開発とその普及振興に向けたこのNPO事業活動の特徴を表しています。 高齢で体力が極端に少ない人達や病弱の人達にもテニス参加の道を開こうとする活動、更に、硬式テニスなどの経験をもつ人達が周辺の子ども達や障害のある人達を相手にしても、力加減をせずにプレーすることを可能とする競技方法の開発も進むなど、現在もいろいろな人達の様々な環境や体力に適したテニス環境づくりが続けられています。 なお、本資料をスポーツをはじめとして各分野の企画づくりなどにご活用を戴きたいと考えておりますが、個人として内容を活用される場合を除き、公的文書作成を含めて転載、複写される場合は事前に日本ハンディキャップテニス連盟の許諾を受けてお進め下さい。 |
| fileプロジェクトdev20 | ||
| 記号 faは 画像ファイル 資料ファイルなどを参照できます | ||
| 主な事業内容 ※各事業の詳細資料は現在データベースとして編集を進めています ※編集の進んだ内容は記号 fa をクリックすると当時の資料等を参照することができます |
リンク ファイル | 実施年度並びに 継続年度 |
大会企画に障害ハンディがある人達のテニス参加への理解を図る内容も加える(12大会開催) この大会企画は活動時間等の都合から車椅子テニス大会企画を推進するため当該年度で打ち切りとしました。 |
fa | 1977年〜1983年 |
| fa | 1981年〜1995年 | |
実施例がないとの回答で利用不可・・ここから本格的取り組みを開始 |
1981年〜1982年 | |
| 1981年〜1982年 | ||
| 1981年〜1982年 | ||
車椅子使用者の転倒等の安全性確認とコートの耐用性などの各種テストを実施 |
fa | 1982年 |
| fa | 1982年〜1984年 | |
| fa | 1982年〜1988年 | |
| fa | 1982年〜1994年 | |
テニス指導のボランティア育成を合わせて実施 |
fa | 1982年〜 |
ワインカップテニストーナメント、他 |
1983年〜1984年 | |
| fa | 1983年〜1984年 | |
障害のハンディのない人達のペアから初の1勝を獲得 |
fa | 1983年 |
| fa | 1983年〜1985年 | |
この大会は第2回企画から日本車椅子テニス競技大会と改称(※第3回大会から愛好者などの実質的運営に移行) |
fa | 1984年〜1986年 |
車椅子使用者や聴力障害の人達も参加(障害の有無に関係なく誰にも出来る技術の習得が目的 |
fa | 1984年〜1986年 |
| 1985年〜1987年 | ||
各地の関係者や各界専門家を招き、発表、討議など2日間のプログラムを実施 (※第1回は1984年) |
1985年 | |
障害のある人達やボランティアが地域大会に参加する模様を撮影−各地映画館で上映 |
1985年 | |
各都道府県、制令指定都市、スポーツ関係方面などに向け、スポーツ環境の整備施策を要望する書類と共に送付 |
fa | 1985年 |
| fa | 1986年 | |
| fa | 1987年〜 | |
| 関連 fa |
1987年〜1988年 | |
各地の肢体不自由、聴覚、弱視、CPなどの障害ハンディがある人達を対象に招待を図る |
1987年〜1989年 | |
国内初の<車椅子テニスルールブック特別版>を作成し、車椅子テニス愛好者や関係者などに寄贈 |
fa | 1987年 |
神奈川県ライトセンターと周辺施設を利用して国内初の公開講習会を実施 |
fa | 1988年 |
※1993年から競技方法のバリアフリー化を更に高めたサウンドテニスを開発、新市民スポーツとしての普及を進める |
1988年〜 | |
| 1988年〜1993年 | ||
肢体不自由(車椅子使用者を含む)、聴覚、視覚、内部障害、CPの人達CVAの後遺症がある人達などが参加 |
fa | 1988年〜1994年 |
この企画は国内定住のための定着促進センターが国立リハビリテーションセンターに隣接していることで実現 |
1989年〜1993年 | |
身体障害者療護施設の峰岡園(千葉)で定期企画活動として訪問 |
1989年〜1997年 | |
第1日目はみなとみらい21の横浜美術館前では公開講習会を実施 第2日目は関東各地の子供達と米軍基地の 子供達を招き<国際児童ショートテニス大会>を横浜市磯子スポーツセンターで企画開催 |
fa | 1989年 |
※1994年からは愛好者団体の運営に移行する |
1990年〜1993年 | |
| 1990年 | ||
2,300部を体育協会、テニス協会、各都道府県の関係者などに寄贈 |
関連 fa |
1991年 |
プロ,アマなどのテニス関係者の協力得て例年実施の競技大会に代えてコート8面で実施 |
1991年 | |
| 1992年 | ||
| 1993年〜 | ||
| 1993年 | ||
| 1993年〜1994年 | ||
英国大使館や留学生などの協力で海外方面に寄贈を図る |
関連 fa |
1994年〜 |
四国(香川・愛媛)、関西(兵庫)、東京の3会場で実施 |
1994年 | |
新潟、長野、兵庫、福井、北海道、千葉、高知、鹿児島、埼玉などの11施設訪問 |
1994年〜1995年 | |
被災地の子供達にはスポンジテニスを紹介 避難所施設では用具類などを寄贈 仮設住宅地域では高齢者向けのプログラムと共にテニス講習を実施 |
fa | 1995年〜1997年 |
| 1995年〜1999年 | ||
| 1995年〜2000年 | ||
| 1995年〜 | ||
総合型地域スポーツクラブのモデル会場としてなみはやドーム視察(※企画主管 日本体育協会 文部省) |
関連 fa |
1996年〜1997年 |
| 1996年〜 | ||
| 1996年〜 | ||
| 1997年 | ||
| 1997年 | ||
| 1997年 | ||
| 1997年 | ||
| 1997年 | ||
| 1998年〜 | ||
(会場 沖縄 ※主催 那覇市テニス協会) |
1999年 | |
| 1999年 | ||
| 2000年 | ||
| 2000年〜 | ||
| fa | 2000年〜 | |
介護,看護活動に関わる人達の健康維持を企画の主対象とする |
fa | 2000年〜 |
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