バリアフリースポーツ環境づくりの施策を求めて 「ルプトプランレポート No−1」 ![]() |
いろいろな心に出会い、いくつもの心が交わり合うところで育まれた新たなスポーツ世界・・ テニスの楽しさを育むスポーツ環境と温かな社会環境づくりへの取り組みが進みました |
1977年から 障害による運動機能ハンディに対応したプログラムを中心にして 高齢者や幼い子供達などに対するスポーツ参加の機会を増やすことに向けて テニスの新分野開発を進めてきました。 活動は 数多くの人達の温かな協力と様々な方面の支援により テニス参加のゆめを育み スポーツ参加の楽しさを広げることができたように思います。 1985年に <テニス>をテーマとした生涯スポーツ研究資料 ルプト・プランレポート NO-1 を作成、47都道府県並びに制令指定都市の行政長とテニス界の関係各方面に送付しました。 レポートの内容は、1970年代にスタートしたハンディキャップテニスの基礎研究から 1981年以降のプログラム事業内容を編集した資料です。 障害ハンディがある人達のテニス参加への理解が広がることに向けて 地方地域のスポーツ環境の整備、政策を要望する書面と合わせて送ったものです。 残念ながら、各都道府県、政令指定都市からの回答は得られませんでした。 各行政のトップに届く前に関係担当者の手元で処理されたのか?・・ 事情は分かりませんが いづれにしても理解少ない時代でした。 ボランティアをはじめとして 多くの人達と障害ハンディがある人達などの懸命な活動で、このテニス内容の啓蒙普及が進められましたが、車椅子や松葉杖などを自由に使用できるコート施設探しに 関係者の多くが苦労を重ねていたことを振り返り、当時、時代の先を見る行政施策に出会えなかったことが惜しまれます。 |
なお、ルプトプランとは・・ Let’s play tennis together − Plan の頭文字 LPTT−Plan です。 英語の苦手な者がつくったため、英語表現として誤りがあるかもしれませんが・・ 障害のある人達や高齢者、幼い子供達や病弱の人達にもテニス参加を呼びかける計画・・との意味です。 現在の研究協会の旧団体名称<ルプトプラン連絡協議会>の編集発行によるレポートです。 |
21世紀・・ 良き時代を創るのは ‘人’ 15年先に どのような社会環境とスポーツ環境づくりが 進んでいるのでしょうか・・ 差別化のないスポーツ環境、スポーツ内容が 温かく育まれる社会であることが 期待されます |
年齢や体力の違い、運動機能の差などにこだわらず、すべての人々を受け入れる温かなスポーツ社会の実現に向け、活動のキーワードにしたテニスが 生涯スポーツ、万人スポーツとして
名実の伴う内容にと願う活動が 1977年 国内でスタートしました。 様々な情報収集、研究開発を兼ねた各種の企画やイベントの積み重ねなどを進め、その環境づくりの具体的な取り組みのひとつとして 当時 コート上では実現のむずかしいものとされていた車椅子テニスの競技開発を ルプトプランの名称で 1988年12月から 各方面に情報を発信、提供し、公開プロジェクトとして進めました(参照ページ dev20) 地方地域の一部に こうしたテニス競技の実現と参加を望む人が存在していたことを 後年の情報から確認しましたが、30年近く前は 車椅子でテニスを楽しむという内容も、また 一般のテニスコートに車椅子を持ち込むことへの理解の少ない時代でした。 ここに紹介します様々な資料は 日本テニス協会、日本プロテニス協会の関係者を含め、数多くのテニス関係者、愛好者など様々な内容で協力戴きました。 設備や用具などの提供に理解を示された関係業界とテニスと無関係の企業や財団等の温かな支えも 新たなテニス環境が育まれた記録の一部です。 |
生涯スポーツ研究 <テニス> ルプト・プランレポート LPTT・No−1 (1981年10月−−−1984年12月) |
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