ENHファィル 広域被災地域の中で |
ここに紹介のレポート内容が 将来、国内外で発生するかもしれません大規模災害に対し、少しでも参考となれば幸いです。 当時の資料記録はまだ相当量(一部は諸般の事情から処分)の内容があり JHTF事務局に保管されています。 |
Encouraging Network ‘Heart’ | ||||||
スポーツも、生活も・・かけがえのない生命が守られ、大切な健康が維持できる環境の中で成り立つものです。 しかし、その大切な環境や心安らぐ時間を失った人達の被害情報を目にしたとき・・ 何か・・‘今’出来ることを行動に・・ 当時、この行動の起点として設立したのがENH活動事業部です。 |
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●page01 被災地から最初のレポート ●page02 支援活動への理解と協力 ●page03 仮設住宅の状況と活動 ●page04 ボランティア活動のむずかしさと喜び ●page05 被災地情報の報道とNPO活動支援について ●page06 当たり前で良いのか? いつも軽視される人達 ●page07 被災地域を見つめ・・実現できなかった企画 |
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このENH活動は、1995年の被災地域支援活動から始まっています。 被災地域の高齢者や障がいのある人達、子供達の支援に向けて、スポーツ活動でつながった各地の人達とのネットワークを活用しつつ、幅広い地域から参加された人達と共に活動が始まりました。 当時、支援プログラムの中には緊急支援物資と共に、オプションとして子供達のために贈るテニス用具類も加えました。 この用具類を使用して、避難所や仮設住宅地域の中でスポンジテニスの紹介と練習指導も進めました。 テニスプログラムは子供達ばかりでなく、周辺の大人や支援活動のボランティアの方々にも喜んで戴き、長く続く避難生活や支援活動の疲れやストレスをひとときでも忘れる時間にしていただけたのかも知れません。 |
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この阪神淡路大震災は・・ 数多くの尊い命を奪い去った自然災害の恐ろしさは被災した地域や多くの人達の心に深い傷跡として残りました。 現在、神戸とその周辺地域の外観は美しさを取り戻したと思いますが、未だに心に深い悲しみを秘めている人達も数多いことと推察しています。 それぞれに新たな希望とゆめを見つけ、悲しい思い出と置き換えていかれることを願っています。 ENHの活動のひとつに・・被災した人達の心配事や不安な気持ちを同じ目線で聞き取ることによる心のケアを加えました。 この活動のボランティアのレポートの中に・・ 高齢の人が地震に襲われたときのことを話すのを黙って聞いてあげただけなのに、涙を流して 「ありがとう」 と言われた。 小さな活動が少しでも役立ったことを被災地から遠く離れた地域から参加された人達が感激的に話していただきました。 支援方法の技術も体力もないのに、いても立ってもいられなくて、地方の自宅からボランティアとして参加してきたものの、何もできないのではと不安だったことがこのときに被災した人から感謝の言葉を受けたことで逆に励まされたように感じたことを活動の終了後に報告してこられた人もおりました。 精神科医でもカウンセラーでもないボランティアの人達の行動が、誰にも話をする機会の少なかった人達の心と向き合い、少しでも安らぐことに役立った一例かと思います。 ここに紹介を進めて参ります当時の2年間前後の被災地域の様子は忘れたい内容でもありますが、しかし風化させてしまうことは、失われた多くのかけがえのない生命が存在した街と時代、被災地の中で懸命に周辺の人達や自らを励ましながら生活を立て直した人達の存在なども消し去ることにつながるのではと考え・・ 万一の災害発生時の支援方法などに多少でも参考になればと編集を図りました。 行政など各方面の関係者が見せた被災後の対応や当時のマスコミの視点に対する指摘、また、私達ボランティアの活動姿勢などの反省点も加え、震災が生んだいろいろな問題点をほんの少しですが記録として残して参りたいと思います。 今は美しく復興した街並みの姿を思い、元気を回復した人達の笑顔にいつか再会できることを願いつつ・・ 当時、黙々と歩き続けた道を機会があれば訪ねたいと思っています。 |
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被災地域活動を振り返るレポート編集に当って・・ 当時、関係方面から入手した避難所リストに記録された兵庫県内1,000個所以上の場所、その中で各地域から集まったボランティアの方々と訪ねることができたのはその一割程度でした。 時間の経過と共に多くの被災した人達は仮設住宅に移り、ここで本格的な地域復興が進むまでの間、厳しい生活を余儀なくしておりました。 いろいろな方面からの情報を基に、数ヶ所の大規模仮設住宅地域を中心に訪問活動を継続しました。 |
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不安と寂しさが続いている方々の心のケアに少しでも役立てばと、神戸の仮設住宅地域で数回実施しました <星空を見る集い>を具体化できる場所と協力を求め、地域の災害対策本部やボランティア団体を訪ねました。 | ||||||
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当時、淡路島と神戸を結ぶ明石海峡大橋の工事が進んでました。 この工事を横に見ながら、正面の淡路島を視界に入れると、島の人達の被災に耐えている姿が、一度も訪れたことのない地域でしたが、まだ船上にいながらも目に浮かんだことを記憶しています。 | ||||||
Page 01 被災地から発信 最初のレポート |