子供達の元気を育む
帰島の日まで・・ 子供達の元気を支えたい・・ 三宅島の子供達 in 秋川
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活動参加のボランティアは 専門的な技術や経験をもつ方もおりますが、大半は専門分野とは別の活動内容にも多く参加しています。 遊びは子供達が今やりたいと思っていることに合わせています。 テニスサポートの人達もテニス以外の活動で子供達と接しています。 テニスは経験者に加えて、秋川の活動に参加してから初めてラケットを握ったボランティアの人達もいます。 スポンジテニスは簡単に親しみ易く、すぐに子供達の相手になれます。 しばらく子供達のカモにされますが、良きコミュニケーションを図っています。 上達を目指す子供達には経験者がアドバイスを送り、未経験者はゲームで翻弄されながら、それぞれの持ち味で子供達の心をサポートしています。 この秋川でのテニスサポート活動は NHKボランティアネット情報やJHTF公開ページの情報から参加された人達が大半です。 東京以外の地域から活動参加する人達も多いのですが、子供達を元気づけながらボランティアの人達も子供達から元気をもらっている人達が多くおります。 12月5日には、硬式ミックス種目とスポンジテニス種目の「三宅島児童・ボランティア友好テニス大会」を開催しました。 ボランティアの人達も加えて、途中から参加した人達も加え25名が日没でボールが見えなくなるまで屋外コートで硬式テニスを、次に室内に入ってスポンジスーパーボレーの種目を楽しみました。 日没が早くなった秋から初冬に入り、ボールが見えなくなるまでプレーすることが多く続きましたが、子供達は元気です。 テニスボールとラケットは、中古のボール提供をお願いした方面の温かな協力で揃い、スポンジテニス用具は支援でセンターが寄付金を活用して揃えました。 いろいろな方面からの温かな後方支援が、このテニスサポート活動の内容も充実させています。 |
2002年3月で小学生の姿は、三宅村小学校の6年生の卒業を最後に秋川の敷地内から見えなくなります。 中学生や高校生については卒業生を別にすると大きな変化はありません。 これまではテニス参加の中学生以上は僅かな数でした。 授業終了時間の違いやクラブ活動、勉強時間などの都合で参加機会がなかったのかもしれません。 しかし、高校生を含めて、そのひとりひとりの心のストレスは 外見以上に大きなものがあると推測されます。 今後、どのような内容でテニスサポートを継続するかは分かりませんが・・ 子供達がスポーツで若いエネルギーを発散することが出来れば、体力も心も健康維持できると思います。 秋川地域以外の場所にもサポート活動を広げ、高齢者や避難先の地元の子供達も加えた幅広いテニス交流の環境を工夫したいと考えています。 |
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スポンジテニスで遊ぶひととき! 学生ボランティアのお姉さんも加わって一生懸命にラケットを振り、打てなくても にっこり!放課後の遊びは家族と離れた寂しさを少し忘れさせてくれる時間です 中学生達のバレーボールのクラブ活動で使用予定の体育館の半面を利用 |
子供達は自由なスタイルでスポンジテニスを楽しみます。ひとりひとりの違った個性は見ているだけでも楽しい!ここではテニス指導は不要!子供達が独特の打ち方を逆に教えてくれました。 秋川高校として最後の卒業式会場となる講堂を利用させて戴きました |
最初の6ケ月くらいまではスポンジテニスが主流でしたが、屋外にある3面のコートでの硬式テニスが人気を集めました。この2002年に入る頃、子供達は飛躍的に上達し、スポーツセンスにも優れた子供達ですが、遊び心のセンスも抜群でした。 中学校には硬式テニス部がないために野球部に入るという Yくんは文武両道です |
2001年2月 | 2001年3月 | 2002年3月 |
避難当初は多くの子供達が秋川におりましたが、家族の住む避難先からの通学に切替え、また、最寄りの学校に転校する子供達も増え 寮生活を送る児童は次第に減少していきました。 そしてこの3月、通学していた児童も含めて秋川で生活した子供達は卒業し、秋川を去っていきました。 三宅村立小学校で勉強を続けた小学生18名、この中の16名が卒業生ですが、残る2名の下級生も4月からは転校となり、秋川から 小学生の姿がすべて見られなくなりました。 三宅島の小学校は島民の人達が無事に帰島されるまでは休校となります。 再び、三宅島の中を 元気に走り回る子供達の姿が早くに見られることを祈りたいと思います。 |